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良いブスでありたい

busu

ブスである。しかも、化粧でなんとかできないタイプのブス。クドいブス。

私には姉がいて、こっちはべっぴんである。幼い日の私は姉と自分とを同一視して、成長すれば姉のようになれると思っていた。もちろんなりはしなかった。

中学生ぐらいになるとさすがに彼我の区別もつき、あ、私はブスだな、と自覚も出てきた。姉と入れ替わりに私が入学すると、姉を知る人は私を見てたいへん微妙な顔をするのであった。

高校生、ブスまっさかり。オシャレやヘアメイクに目覚めるも、上記のとおりメイクでどうにかできない、彫りの深いブスたる私は、奇抜なファッションに傾倒していった。今から思うと、これには姉との差別化という意図もあったのだろう。姉のバイト先の同僚が「妹さん紹介してくださいよ!」としつこいからと食事会が催されるも、入店と同時に露骨にガッカリされるイベントあり。この頃、「ブスの生きる道」を考え始める。

大学生、腐り始める。この頃のエピソードとして印象深いのは、姉と二人で知人夫妻の飲食店を手伝ったときのことだ。カフェのようなお店で、夫妻は揃いのアロハシャツを着ていた。私たちに渡されたのは、そのアロハシャツと、メイドさんのような可愛らしいワンピースが1着ずつ。むろん、アロハシャツは私に、ワンピースは姉に。背の高いべっぴんである姉がワンピースを着るととても良く映え、お客さんにも好評だった。閉店後、夫妻の息子が私に「○○ちゃん(姉)、いろんな人に可愛いって言われてた」と言いに来た。そうなー、可愛いもんなー、などと相槌をうつと「あんたと違ってね」。奥さんがすっ飛んできて息子の頭をはたいた。あ、私ときたら小学生のクソガキにもなめられるレベルのブスなんだな、と自覚を新たにした。

そして、ブス、社会に出る。これは体験に基づく偏見だが、二流以上の大学を出てそこそこの規模の会社に滑り込むことができれば、ブスでも露骨な応対はされなくなる気がする。社会はやさしい。ただしモテはしない。

日々の仕事をこなしつつ、ファッションも人格も低空飛行に落ち着いた頃、そんなブスを奇跡的に好いてくれる人が現れ結婚、現在に至る。これが私の半生である。



私はこれまでブスとして生きてきて、この先もブスのまま生きていく。自分自身の価値観としてはやはり「美しいこと=良いこと」という考えであり、それはもうどうしようもない。心掛けとか日頃の行いの範囲で、せめて良いブスでありたいな、というのが最近の望みだ。


ここまでで何回ブスって書いたんだろ。